大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和34年(く)48号 決定 1959年10月22日

抗告人 申立人 金大声

訴訟代理人 諌山博

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由の要旨は、末尾添付の即時抗告申立書記載のとおりである。

第一、抗告申立人金大声(以下申立人と称する)に対する出入国管理令違反被告事件の記録を精査すれば、次の事実が認められる。

(一)  申立人は昭和三三年六月五日頃韓国船大明号に船員として乗船し同国馬山港を出港して同月七日頃対馬竹敷港に入港したが、所持していた船員手帳に嫌疑をかけられ翌八日厳原海上保安部の取調を受くるに至つたのである。

(二)  かくて、申立人は同月一〇日海上保安官の取調に対して、自己の本籍は慶尚南道陜川郡治炉面汀[土台]里九三四、住居は慶尚南道浦項市新興洞九六ノ三、氏名は金尚均、生年月日は擅紀四二五五年一〇月二六日生と詐称した上、これより先昭和三一年五月二五日頃韓国馬山港より同国貿易船海洋号の船員として対馬厳原港に入港し、また同年一〇月二日頃右馬山港より韓国貿易船日進号の船員として右厳原港に入港したが、二回とも本籍及び住居が韓国馬山市倉洞、氏名が金大声、生年月日が擅紀四二五五年六月一日生となつている他人名義の船員手帳に自己の写真を貼りつけて偽造し、これを所持して不法に日本に入国した旨の虚偽の自白をしたので、即日右二回の不法入国被疑事実により同保安官から緊急逮捕され、次で翌一一日同保安官の取調に対し右同様の虚偽の自白を繰り返し、更に同月一三日の検察官の取調においても従来通りの虚偽の自白をしたので勾留を請求され、翌一四日の裁判官の勾留質問に対しても、同様の虚偽の自白をしたため同日前示被疑事実につき勾留されるに至つたものである。

(三)  ところが、申立人はその後同月二三日検察官の取調に対し自己の氏名は本来金大声と称していたが昨年(昭和三二年)二月頃姓名判断の結果正規の手続を経て金尚均と改名したもので、金大声名義の船員手帳は当時正式に馬山海事局より自己に交付されたものであり、現在所持している金尚均名義の船員手帳もまた馬山海事局より正式下附されたものであるから、勾留の被疑事実となつている二回の厳原港入港は何れも自己の正規の船員手帳による入港であつてこの点に関する従来の不法入国の自白は虚偽であつたと申し立て、次で同月二六日、三〇日の検察官の取調においても同様の陳述をしたが、検察官は申立人が右虚偽の自白をひるがえしたのに拘らず、これを申立人の遁辞であり該虚偽の自白が事実であるとの心証の下に昭和三三年七月二日右虚偽の自白に基く昭和三一年五月と同年一〇月の二回に亘る申立人の厳原港入港を不法入国と認め、同事実につき申立人を出入国管理令違反事件により長崎地方裁判所厳原支部に起訴したのである。

(四)  しかして、申立人は同裁判所の同年七月二五日の第一回公判期日より同年一〇月二八日の第六回公判期日に至るまで、前掲公訴事実に対し終始正規の手続により自己に下附された金大声名義の船員手帳により入国したものであると主張しその間各種証拠調がなされた結果、同日同裁判所は金尚均なる氏名は金大声を改名したものにして同一人であり金大声名義の船員手帳は申立人に正規に交付されたものであるから、前叙の二回の厳原港入港が不法入国であるという公訴事実は犯罪の証明がないとして無罪の判決を言渡したのである。

(五)  右判決に対しては検察官より控訴の申立てがあり福岡高等裁判所は事実取調をした上、昭和三四年四月二七日申立人は金尚均の氏名を詐称しているものではあるが、金大声なることに間違なく、従つて当時所持していた金大声名義の船員手帳は正規のものであり、これを所持して入国した本件は罪とならないとして控訴を棄却する旨の判決を言渡し、同判決の確定により申立人の無罪が確定したのである。

第二、そこで、申立人が海上保安官、検察官及び裁判官の勾留前の取調に対し虚偽の自白をなした上その後これをひるがえすに至つた経緯と原因を探究するに、申立人に対する出入国管理令違反被告事件記録、就中厳原支部第五回公判調書、福岡高等裁判所における第五回公判期日において取り調べられた申立人の検察官に対する昭和三四年二月二三日附供述調書謄本によれば、次の事実が認められる。

(一)  申立人は本籍が韓国馬山市倉洞一二三番地、住居が同市倉洞五五番地、氏名が金大声、生年月日が擅紀四二五九年一一月一一日生の者であるところ、昭和三三年六月初突然対馬に渡航する必要に迫られたが、従来持つていた金大声なる自己名義の船員手帳は失効して使用できなかつたので金某に船員手帳の不正入手方を依頼したところ、同人から申立人の写真を貼りつけた本籍慶尚南道陜川郡治炉面汀[土台]里九三四、住居慶尚南道浦項市新興洞九六ノ三、氏名金尚均、生年月日擅紀四二五五年一〇月二六日となつている船員手帳を渡されたので、これを所持して貿易船大明号に船員として乗船し同月七日対馬竹敷港に入港したのである。

(二)  ところが、申立人は翌八日厳原海上保安部保安官の取調を受くるにいたり昭和三一年五月二五日頃と同年一〇月二日頃の二回金大声なる氏名を以て厳原港に入港していた事実が発覚するやその氏名の異ることの弁明に窮したため、旧い事件は軽視され刑責が軽減されるに反し、新しい事件は重大視され刑責が重いものと憶測した結果刑責の減軽をはかると同時に新しい昭和三三年六月七日の不法入国の事実を隠蔽してその罪責を免れようと企て、金尚均の氏名を詐称し、同人名義の船員手帳も自己に正規に下附されたものである旨虚偽の申立をなすと共に以前の二回に亘る厳原港入港は他人である金大声の船員手帳を偽造しこれを所持して不法に入国したものであると虚偽の自白をなすに至つたのである。

(三)  ところが、申立人は予期に反し虚偽の自白に基く二年前の不法入国の被疑事実につき勾留されたので、事の意外に驚いてその後、検察官の取調に対し自己の本来の氏名は金大声であつて同名義の船員手帳も当時正規の手続により自己に下附されたものであるから、これを所持して過去二回厳原港に入港したのは適式の入国であると真実を述べるに至つたが、同時に右偽造にかかる金尚均名義の船員手帳による昭和三三年六月七日の不法入国の発覚を防止しようとして、金大声なる氏名はその後正規の手続により金尚均と改めたもので何れも自己の事実の氏名であると虚偽の申立をなした上、これが裏付のため厳原支部の公判において虚偽の戸籍抄本を提出し且つこれに副う証人を作為する等種々偽装工作を構えて、前掲昭和三一年五月二五日頃と同年一〇月二日頃の二回に亘る入国の公訴事実につき無罪の判決を受けたのである。

第三、もともと、刑事補償請求権は憲法第四〇条により保障された権利であつて、同法第一二条による制限を受ける外法律によつてもみだりにこれを剥奪し得ないものと解すべきものであることと、現行刑事補償法第三条に対応する従前の規定が広汎補償な除外例を設けていたのを憲法の右趣旨に則つて現行法の如く改正した経緯に鑑みれば、刑事補償法第三条の補償をしない場合の規定を極めて厳格且つ制限的に解すべきものなることは疑をいれないところであるから、同条一号所定の捜査又は審判を誤らせる目的とは単なる認識を以て足りないことは勿論であり、また任意に虚偽の自白を繰り返した一事を以て、かかる目的に出たものと推断することの許されないことも当然にして、該目的は証拠上明確に認められる場合でなければならぬものと解すべきである。

ところが申立人は上記のごとく旧い不法入国は刑責が軽減せられるのに反し新しい不法入国はそれが重いものと憶測して、自己の刑責を軽減し且つ新しい昭和三三年六月七日にかかる不法入国の罪責を免れようと企て、上記旧い二年前の適法入国を不法入国である旨虚偽の自白をしたものであるから、かくの如きはまさしく捜査又は審判を誤らせる目的で虚偽の自白をした場合に該当するものといわなければならない。

しかも、右虚偽の自白が申立人に対する本件逮捕勾留の原因となつていることは、該自白の不法入国を被疑事実として逮捕勾留されていることに徴し極めて明らかである。

第四、尤も、前示記録によれば、申立人は虚偽の自白をした一〇日後には既に検察官の取調に対しこれをひるがえして事実を述べてはいるものの、同時に更に自己の新しい不法入国の罪の発覚を防止しようとして金大声なる本来の氏名を正規の手続によつて金尚均と改名したと虚偽の申立をしたため、改名しても変わる筈のない金大声の本籍及び生年月日と金尚均のそれとがすべて異つており、これが相違の理由についての申立人の弁明も必然的に瞹昧を極めていたためと更に他の証拠との関係上改名の弁解を是認するに由ない状況にあつたため、これと一連の関係において述べられた申立人の金大声の船員手帳が自己に真正に下附されたという真実の主張も亦検察官の心証を得られるに至らずして起訴され、裁判所の公判もまた申立人の真偽織りまぜた陳述のため遅延したことが認められる。さすれば、申立人の折角の虚偽の自白の早期撤回は、自己の新たな不法入国の罪責を免れんとして同時に虚構の事実を縷々附加陳述したことが最大且つ決定的な原因となつてたやすく受け容れられるに至らなかつたものにして、畢竟、申立人自ら求めて右撤回の効果を抹殺し去つたことに帰するから、右虚偽の自白の早期撤回は刑事補償の許否を決するにつき何等考慮に値しないものといわねばならない。

第五、かようなわけで、申立人は捜査を誤らせる目的で虚偽の自白をなし因つて逮捕勾留されて起訴されたものであるのみならず、自己の新たな不法入国の罪責を免れようとして右虚偽の自白の早期撤回と一連の関係において換言すれば畢竟虚偽の自白との関連において更に虚構の事実を縷々申し立て、因つて以て捜査及び審判を困難と遅延に陥れた上勾留日数の伸長を招来したものであるから、かくの如き場合において刑事補償の全額を拒否することは拘禁日数一四一日を考慮にいれても、なお相当にして刑事補償法の精神に背反するものということはできない。

従つて、申立人に対しては刑事補償法第三条第一号前段第一六条により刑事補償の全部をしないのが相当であり、これと同趣旨の原決定は正当にして本件抗告は理由がないから、刑事訴訟法第四二六条第一項に則りこれを棄却すべきものとする。

(裁判長裁判官 藤井亮 裁判官 中村荘十郎 裁判官 横地正義)

即時抗告申立の理由

一、申立人は昭和三十三年六月十日に出入国管理令違反被疑者として逮捕され、引きつづき長崎地方裁判所厳原支部に公訴の提起をされたが、長崎地方裁判所厳原支部は申立人に無罪の判決を言渡し検察官の控訴申立にもかかわらず、福岡高等裁判所で控訴棄却の判決があつて、申立人にたいする無罪判決は確定した。そのため申立人は違法に拘束された昭和三十三年六月十日より同年十月二十八日までの間、一日四百円の割合による金員合計五万六千四百円の刑事補償の請求を、長崎地方裁判所厳原支部にたいしてなした。

二、しかるに長崎地方裁判所厳原支部(裁判官小島強)は、昭和三十四年九月十日附で、「請求人は本来金大声なる姓名であるのにかかわらず昭和三十三年六月金尚均なる偽名をもつて入国したが、これと従前の金大声名義をもつての入国との矛盾を糊塗しようとし、捜査を誤まらせる目的で前示(一)(二)(三)掲記のごとく虚偽の自白をなし、これによつて逮捕、留置、拘留乃至起訴を受けるに至つたものと認められる。請求人としては当初から自己を金大声と主張し、自己名義たる金大声名義の船員手帳をもつて入国したことを明らかにすることができたのであり、また明らかにそうすべきであつたのであつて、そうした場合においては本件被疑事件は成立の余地がなく請求人もまた本件被疑事実をもつて逮捕、拘留、起訴等の処分を受くることは恐らくなかつたであろうと思われる。もつとも請求人は検察官に対して自己の旧名が金大声であつて改名して金尚均となつたと述べ公判においてもそのように述べているけれども、金尚均を自己であると主張する限り本籍、生年月日等に不合致を生ずるのはおおい難く、従つて当初の自白を直ちにくつがえして即時に真実を発見するまでに至らないことも止むをえないところであり、その責任はまたもつて請求人が当初において虚偽の自白をなしたことに帰するのほかはない」という理由で請求人の申立を棄却する旨の決定をなし、右決定は同年九月二十五日に請求代理人諌山博に送達された。しかしながら右決定は、つぎの理由により違法である。

(1)  申立人が自己の本名を偽つて自白していたのは事実であるが申立人が本名を偽つていたことと、申立人が逮捕され公訴を提起され、無罪の判決を言渡されたこととは、因果関係がない。(この点については、公判記録が福岡高等裁判所に送付された後にさらに詳述する。)

(2)  申立人は、「捜査又は審判を誤らせる目的」で虚偽の自白をしたものではない。刑事補償法第三条にいう「捜査又は審判を誤らせる目的」とは、「単なる認識では足りない」(横井大三著新刑事補償法大意六〇頁)、「本人に捜査又は審判を誤らせる目的があつたことが必要であつて単なる認識では足りず」(同氏著法律実務講座第十二巻二九九一頁)とされている。しかるに申立人の虚偽の自白がこのような目的でなされたという証拠はない。

したがつて、長崎地方裁判所厳原支部裁判官小島強のなした右棄却決定は違法として取消さるべく、申立人には金五万六千四百円が支払れるべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例